東海地方を中心に、だんご、たい焼き、お好み焼きなどをテイクアウト販売している「米乃家」 戦後間もない頃に岩倉の地で創業し、一昨年、新業態のカフェ「オールドウェイズ三丁目の米乃家」(現在、およねカフェ)を、今年4月にパン部門をオープンさせた「株式会社米乃家」の代表取締役 村瀬昇平氏にお話をお聞きしました。
電柱広告の効果はいかがですか
一言「刺さる!!」ですね。 心や脳裏にグサリと・・・・・・ まだ、効果のほどはわかりませんが目にするうちに、自然と心に「刺さり」じわじわと「効いてくれる」ことを期待しています。植物に例えるなら、種を
蒔き芽が出て、やがて花が咲く過程を楽しんでいるところですかね。
でも、実は最近、駐車場に見慣れない県外ナンバーの車をよく見かけるようになり、お客さまの年齢層も広がっていて、売り上げが30%ほどアップしています。すでに電柱広告の効果が表れているようですね。
小腹を満たす粉物料理の絶対王者たちを販売する「米乃家」。お店への行き帰りは電柱広告による視覚を、お店では嗅覚を、おうちでは味覚を、そして共に食す人とは温かい心を感じてしまう懐かしい景色がそこにある様な気がします。
これまでの歩みを教えてください
昭和23年、生きていれば今年百歳を迎える「メシ食ったか?」が口癖だった祖母「およねさん」が、名鉄岩倉駅の踏切番や自転車預かりをする傍ら、食堂を開店したのがはじまりです。屋号の「米乃家」には「お米に困らない家」にという願いが込められています。私は若い頃「自社ブランド」を創りたいとの思いから 24 年 前 に 家 業の米乃家を引き継ぎました。その後、失うものは何もないと捨て身の覚悟でチェーン店事業をスタートさせ、米乃家グループは現在、国内で約130店舗、中国で18店舗を展開しています。
おすすめの商品やこだわりは
特にたい焼きがおすすめですね。焼きたてが美味しいのは当り前。米乃家は「冷めても美味しい」にこだわって作っています。私は1日置いたたい焼きを7分間オーブンで焼いて、歯が折れる位「ガリッ」としたパリッパリのたい焼きが好きですね。商品を通して、食卓に笑顔があふれることを願っています。
おばあちゃんのキャラクターが印象的ですね
「およねさん」をモデルにしたキャラクターで、自社でデザインしています。知名度を上げるには、米乃家という「ブランド」を形づくることが必要です。米乃家のオリジナリティを追求するために「自社製」にこだわり、自分たちでできることは何でもやります。「およねさん」のキャラクターは、米乃家の「ブランディング」の一つです。
社長の考える「仕事と遊び心」とは
楽しいか楽しくないか、格好良いか悪いかを考えた時、格好悪いことはやりたくないし、楽しくない場所には出店も催事も行いたくないですね。仕事は魚釣りと同じで、仕掛け(お客さまを喜ばせる)をどうすれば良いか、考えることが楽しいです。趣味の一つに「仕事」があるとも言えますが中途半端なことはせず、常に本気で取り組んでいます。また、いつも美味しい物を探し求めて食べ歩き、研究をしています。お客さまから「美味しかったよ」「ありがとう、また来るね!」などと言われることが一番嬉しく楽しいですね。スタッフに対しては、私自身がルールを守らないので守れないルールは作りません。格好一つとっても、髪色は自由、ピアスは良し悪しでなく2個まで、ネイルは長すぎず派手でないなど、その人にふさわしければ問題ないです。
経営される高級食パン専門店も人気のようですね
米乃家の新業態として、以前取り扱っていた「パン」の専門店化を図りました。無添加にこだわった、もちもちの食パンです。時代の流れから今後は米よりもパンの需要がさらに増えていくと考えています。
今後の展望を教えてください
私は会社を数百年先にも存続させ、その時には3,000店舗に拡大するという壮大な構想があり、今はその仕組みづくりをしている段階です。自分に知識がなくても、専門知識のある方を会社に迎え、相談しながら進めています。また、当社には日本語が堪能で有能な外国人スタッフが何人もいます。海外進出にあたっては、日本で一番の会社でなければ成功することはないと私は常々考えていましたが、もう行っても良い頃合いだろうと、スタッフたちを信頼し任せることで実現しました。今後はフィリピン、タイ、そしてアメリカへの進出も視野に入れています。4世代にわたって通ってくださるお客さまがいる「米乃家の歴史」は、お金に換えられません。年々、その重みを感じています。この歴史を代々伝えていき、永く続いていく会社にしていきたいと考えています。